昔から歩くことが好きだ。
すなわち、散歩が好きだ。
落ち葉を蹴飛ばし怒られながら歩く、秋の散歩。
雪の絨毯に足跡の平行線を刻みながら歩く、冬の散歩。
ーーという、隣に誰かいそうな散歩のことではない。
(『スノースマイル』はよき)
ひとり散歩は素敵さ。
ただひとり黙々と歩き続ける散歩が、いっとう好きだ。
考え事をしながらだと、永遠に歩き続けられる気さえしてくる。
何かを考えたいときも、頭をスッキリさせたいときも。
どちらの場合でも「散歩」を選べばまず間違いはない。
お金もかからず、身体にも良いのだから、まさに庶民の味方。
小市民代表としては、断固として<散歩>を推していきたいところだ。
おしゃべりをしながらの散歩もいいが、
ぜひ<ひとり散歩>も試していただきたい。
あのなんとも言えない爽快感に、君はきっと病みつきになるだろう。
小人の日課は散歩である。
ここ最近日課にしているのは、毎日30分から1時間ほどの散歩。
だいたい7,000〜8,000歩くらいの距離を歩いている。
散歩を日課にして“劇的な”変化があるかというと、
正直あるとは言えない。
顔をシュッとさせたいとか、脚をスラッとさせたいとか、寿命をビヨンと延ばしたいとか。
そういった効果を期待する方々は、
散歩ではなく「ウオーキング」をどうぞ。
ところで、散歩とウォーキングの違いとは。
個人的には、
「散歩」はあてもなくだらだらと歩くことで、
「ウォーキング」は目的を持ち、一定の歩幅や速度で歩くことだと思っている。
首にタオルを巻き、大きく腕を振って歩いている人たちは、ウォーキング勢だ。
首にマフラーを巻き、両手をポケットにつっこみ、ぼけっと歩いている小さき人は、たぶん小人だ。
理想は「1日8,000歩、20分間の早歩き」らしいが、知ったことではない。
何事にも囚われず、気の向くままに、好きなように歩く。
自由こそ散歩の最大の魅力なのだ。
散歩には劇的に何かを変える力はないかもしれない。
ただ、明らかにわたしの生活の質は高まっている。気がする。
ありがとう、散歩。
わたしの眠りは浅い。
そして眠りにつくのも遅い。
眠るまでに1時間以上かかるなんてことはザラにある。
そんなわたしの横で、5分も経たずにスヤスヤと寝息が聞こえてくると、
なんだか無性に愛おしくて、
その口と鼻を塞いでしまいたくなる。
そんな悪評高いわたしの眠りが、散歩をはじめて少しずつ好転してきた。
前より眠りにつくのが早くなったのだ。
そのおかげか、朝もわりとスッキリ起きられている。
「他人の口と鼻を塞いでしまい病」を患っている人は、早急にお試しあれ。
また、気分転換したい(でも出かけられない)、身体を動かしたい(でもジムは嫌)。
そんな人にもまず、散歩をおすすめしたい。
鬱憤が溜まった心や、凝り固まった身体に嘆いているそこの君たち。
悲観してはいけない。
その心と身体はより一層、君たちをあの爽快感へと導いてくれるのだから。
散歩を義務化するべからず。
ここで一つ気をつけたいのが、<散歩を義務化してはならない>ということだ。
わたしは散歩を日課とはしているが、義務とは思っていない。
散歩の最大の魅力である「自由」と相対するからだ。
義務だと思った瞬間から、散歩の魅力は半減してしまうだろう。
ストレスを解消してくれるものを、ストレスを溜める対象にしてはいけない。
さて、そろそろ君も散歩の魅力に気づきはじめた頃だろう。
散歩派の人間は寛大だ。
「健康・ダイエット目的のウォーキングは続かなかった」元ウォーキング勢も歓迎しよう。
ウォーキング派から散歩派に寝返るがよい。
何を隠そう、わたしもウォーキング挫折勢なのだからな。
さあ諸君!
我々は【断固として散歩派】を掲げ、自由気ままに歩き出そうではないか。